【知道中国 432回】一〇・八・仲五

     ――ある逃亡者の慨嘆・・・

     『蒼天保佑』(孟景海 南冥書屋 1961年)

 この本を購入したのは今からちょうど40年前の1970年秋。香港留学の第一歩を印した数日後に訪れた下町の旺角にあった古本屋でのこと。

 著者の経歴は不明だが、この本の内容から判断して、日中戦争時代は国民党の中堅幹部を務め、国共内戦では南京、北京、上海、武漢などを転戦したものの国民党上層のデタラメさに敗北を予感し戦線を離れ香港に逃亡。53年前後、幸運にも友人のツテで離島の長洲島で小学校教員の職を得たようだ。英国植民地の香港に住み、大陸における共産党治下の人民の悲惨な姿と台湾に逃れた国民党の時代遅れの独裁ぶりを改めて知るに従って、大陸のみならず台湾、さらには香港に住む漢民族が政治に苦しむ原因は漢民族の歴史、わけても政治文化にあるのではなかろうかと思い至ったようだ。かくして著者は漢民族が数千年にわたって育み、是としてきた政治文化に対する徹底批判を試みようとする。

 たとえば「政権は鉄砲から生まれる」という毛沢東の有名なテーゼだが、著者は「これは森厳な政治哲学でもマルクス・レーニン主義に基づく政治戦略でも、ましてや毛沢東によって中国化された共産主義の真理でもない。直裁にいうなら、中国の歴史のなかで常に存在し、20世紀前半の中国を混乱に陥れた元凶である軍閥の考えにすぎない」と看做す。

 たしかに著者のいうように、遠く春秋戦国時代以来の王朝興亡の歴史を概観してみるなら、支配地域の大小にかかわらず軍閥政権は軍事力という支えなしには成立しえなかった。

 軍事力を持たず、“正義の旗”を掲げるだけで支配地域を保持しえた軍閥が存在したためしはない。いわば全国各地で群雄割拠した大小軍閥による天下支配をめぐってのトーナメントに勝利した軍閥こそが、政権(新王朝)を樹立することができたのだ。
 それを可能にする要因は他より優れた鉄砲(軍事力)以外のなにものでもない。軍事力で他を圧し天下唯一最大の軍閥となった者が自らの居所を皇城と定め、改めて皇城の郊外に天壇を築き、天に向かって新王朝の成立を恭しく告げる。かくして昨日まで猛々しくも獅子奮迅の闘いを推し進め、血腥い殺戮を繰り返してきた軍閥は、晴れて天の子、つまり天子=皇帝となり、“絶対聖”の存在として天下に号令するのであった。

 ここで逆転の論理が働く。軍事力が他を圧し非情に徹して天子を称するに至ったにもかかわらず、天から天子と認められ新王朝を創業しえたということは、その人物が凡百の軍閥などではなく、「天子たる崇高な徳」を備えていたからだ――これを毛沢東対蒋介石の国共内戦に当てはめてみるなら、人民の支持という「新しい時代の徳」が毛沢東に備わっていたからでなく、軍事的に蒋介石が劣っていただけ。劣勢極まりない軍事的・政治的環境を冷静に判断し非情に徹し、ありとあらゆる手段を講じて蒋介石という巨大軍閥を追い詰めたからこそ毛沢東王朝=共産党政権が成立したにもかかわらず、毛沢東には「新しい時代の徳」が備わっていると僭称する。敗者の蒋介石は台湾を“小さな中華世界”に化え、徳は我に備われり。かの毛沢東は僭主にすぎず」と喚きはじめた――というわけだ。

 著者は、権力をめぐるカラクリ、身勝手極まりない政治文化、自己中心に傾きがちな民族意識に対する自覚と矯正のない限り、漢民族の悲劇は繰り返されるだろうと嘆く。

 蒼天よ我を保佑し賜え・・・香港で手にした最初の1冊だけに、感慨一入である。  《QED》