【知道中国 376回】 一〇・四・初八
――アンクルトムも、やはり処置なしだ

 『美國兵兵球隊在中國』(文教出版社 1971年)

 1971年4月、名古屋で開催された第31回世界卓球選手権大会で、あるアメリカ選手が中国選手団のバスに乗り込んだ。文化大革命当時のことであり、中国が最大の敵と看做す「美帝」の人間である。バスの中でさぞや袋叩きにあっているだろうと思いきや、アメリカ人選手は熱烈歓迎を受け、満面笑みを浮かべて中国代表団のバスから降りてきた。

 下手な脚本家でも書かないような“偶然”をキッカケに、アメリカ代表団は中国に招待される。以後、両国外交関係はとんとん拍子に友好ムードに転じ、かくて72年2月のニクソン訪中という電撃的ドラマを生んでしまった。「ピンポン外交」だ。国家規模の金欠病に苦しんでいただろう当時の中国が考え出した苦肉の超安価外交。現在のアフリカで展開されている札束で横っ面を張り飛ばす“金満外交”とは甚だしい違いといえよう。

 この本は、中国政府の招待を受けたアメリカ代表団に同行したJ・ロドリックAP通信記者ら5人のジャーナリストたちの報告を纏めたものである(ちなみに「兵兵」の前の「兵」は右の「ヽ」がなく、後ろの「兵」は左の「ノ」がない。pingpangと発音しピンポンのこと。漢字が見つからないので、苦し紛れに「兵兵」と記しておいた)。

 一行の訪問先は北京、上海、広州など。各地で熱烈歓迎の波に迎えられ、あの鼻白む“友誼第一・勝敗第二”の試合を行う選手団の姿を報じつつ、アメリカにとっては未知で神秘の国であった中国の姿を伝えている。だが、そこはそれ・・・「越後屋、そちもワルじゃのう」。魚心あれば水心。いや、中国語に訳されるだけあった、まさに提灯記事の連続だ。

 「18歳のアメリカ人選手は『中国の毛沢東主席は今日の世界で最も偉大な精神と智慧の指導者であり、彼は人々の心に深く入り込んでいる。彼の哲学は優美だ」と口にした。

 「(上海で)かつてごみが溢れごちゃごちゃしていた場所は清潔で整然としている。あの形容しようもなかった貧富の格差は消え失せ、代わって出現していたのは空前の平等社会だった。かつて金持ちは煌びやかな衣裳に身を包み、貧乏人はボロを纏っていた。だがいまは誰もが青、または緑のこざっぱりした軍服を身につけ布製の帽子を被っている。

 「一般住宅地区では、新しい建物が目を見張るばかりに立ち並ぶ。一方、ホテル、事務所、政府機関は、やはり元々の建物を使っている。だが昔と比較して最大の違いは、古くなった建物とはいうものの、完璧に維持され、極めて清潔ということだ。その昔には考えられなかった。道路も異常なまでに清潔に保たれごみが落ちていない。
紙クズすらないのだ。(昔と比較して)なにかが足りない。そうだ、どこにも野良犬が見当たらない。

 「最も重要な事実は、現在では一種の新しい道徳を持ったということ。いうまでもなく共産主義の道徳であり、資本主義の道徳ではない。

 「毛沢東は英雄というものに対する人々の願望を満足させた。彼の五体には人類のありとあらゆる美徳が備わっている。彼の信念は一切の階級格差を消滅させることであり、現在までのところ彼は大きな成果を挙げつつある。

 「どの街でも軍事的な厳戒態勢を見ることはなく、人々は自由に往来している。私も気儘に街を散策し人々とことばを交わしたが、なんの不愉快も感じなかった」

これ以上読み進むのはムダだ。タメにする虚言に付き合う閑はないだろう。  《QED》