【知道中国 374回】 一〇・四・初三
――しょせん舌先三寸ということではないでしょうか・・・

 『環境保護文選』(本社編 中国建築鋼業出版社 1975年)

 この本は冒頭で「環境保護は毛主席の革命路線の重要な一面である。人民の健康を保護し、工業と農業の連係を強め、より早く効率的に工業と農業の生産を発展させるうえで、極めて重要な意義を持つ」と高らかに宣言し、環境保護工作の深化・拡大を促進させるべく、「紅旗」「自然弁証法」の両理論誌、「人民日報」「光明日報」などの新聞に掲載された関連論文や72年から74年の間の環境問題に関する国際会議における中国代表の発言を集めている。ということは、この本は当時の共産党政府における環境問題に関する最も公式的見解の集大成といってもよさそうだ。

 そこで早速、試しに巻頭論文を読んでみることにする。

 「毛主席と党中央は一貫して環境保護政策を重視してきた。解放以来、国民経済の発展に伴い、我が国の環境は大きく改善された」。だが、「経験が証明しているところでは、工業生産のみを重視し、環境保護に注意を向けなければ、とどのつまり工業生産も増大するわけがない。たとえば腐食性物質を含む廃水、廃ガスを野放しにした場合、生産設備と工場を破壊させることとなりかねない。『三廃(廃水、廃ガス、産業廃棄物)』は水源を汚染し、水質を悪化させ、製品の質量を悪化させるばかりか、製品によっては生産不能状態をもたらしかねない。『三廃』は労働者の健康を侵し、生産効率を低下させる」と、なにやら現在の超破滅的な環境汚染問題を先取りしているような議論が展開されている。

 だが時が時だけに、議論は一向に深化しない。致し方のないことだが、環境対策もまた政治運動と直結してしまう。かくて「批孔批判林を積極的に推進することによって、各レベルの指導者は環境対策を的確に日程に定め、真剣に規定し、広範な大衆を動員し、総合的な利用を大いに進め的確な対策を採れば、必ずや新しい成果を挙げることができる。・・・毛主席の革命路線の指導の下、我われは偉大なる社会主義国家を建設しなければならないだけではなく、建設は可能なのだ。同時に広範な人民のために労働と生活に関する快適な環境を創造するのだ」(「環境保護政策を重視せよ」/出典は『紅旗』1974年第九期)

 次の「総合的利用を喚起する」(出典は紅旗』1970年第四期)では、「三廃」ではなく「四廃」対策が論じられている。

 「(ある同志は)“廃材”、“廃水”、“廃ガス”、“廃熱”の所謂『四廃』を一括して“廃物”とし、利用不可能なものだとする。・・・形而上学の観点からいえば“廃”は未来永劫に“廃”であり、改造し利用することは不可能だ。だが唯物弁証法の視点に立てば、事物は一定の条件の下で転化可能であり、なればこそ“廃”を“宝”に転化させることは可能」となる。そこで最も重要な「“廃”を“宝”に転化させる」方法に話が展開されるのかと期待すると、見事に肩透かし。結論は、「毛主席のプロレタリア階級革命路線に従って一歩を進め、革命的大批判を深化させれば、総合利用の花は豊かで華々しく開花し、必ずや実り豊かな果実を結ぶだろう」と、なんとも抽象的で陳腐極まりない常套句で結ばれる。

 当時の共産党最高理論紙誌に掲載された論文がこの程度の噴飯モノだから、残りの論文は、それ以下。形而上学だの唯物弁証法などいわずにトットと具体策を論じ実施すべきだろうが、さにあらず。ということは昔も今も、環境にはトンと関心なし。口先だけ。  《QED》