【知道中国 338回】 十・一・仲七
――やはり、「愚二アラザレバナリ誣ナリ」ということか・・・

 民主党の小澤幹事長が新年に160人を超える“家之子郎党”を自宅に招集し盛大な新年会を開いて権勢を誇示したことは、まだ記憶に新しい。あの時、柄にもなく満面の笑みを浮かべ新年の挨拶をする小澤の背後の壁に掛かっていた対聯には、「桜花春日太平国 江戸明朝第一郎」と記されていたはず。

 最初、これを目にした時、彼と北京との関係から、てっきり中国要人の揮毫と思った。だが、それしては何だかヘンだ。字面が“俗”に過ぎる。どう頭を捻っても(いや、捻らなくたって)、たんなる思いついきで、それらしい漢字を並べただけとしか思えない。「桜花」「春日」「太平国」「江戸」「明朝」「第一郎」では、とてもじゃないがこっぱずかしくて人前では口にできそうにない単語ばかり。最近の中国の指導者は胡錦濤以下理系出身が多いとはいっても、かくも無惨で陳腐な文字を書き連ねるようなヘマはしないだろう。だいいち古典に依拠した典雅な趣が微塵も感じられない。古典の素養、いいかえるなら教養のなさが立ちどころに満天下に知られてしまい、指導者としては失格の烙印を押されかねない。お里が知れます、である。ましてや他国の要人に自らが署名して進呈しようだなんて、孔子のいう「暴虎馮河(素手で虎を捉まえ、大河を歩いて渡る)」、つまり無謀に過ぎるというもの。だから周恩来でも鄧小平でも、軽はずみに揮毫を残さなかったわけだ。

 では、あの14文字は誰が書いて、なんのために小澤に贈ったのか。

 韓国の「中央日報」が報ずるところでは、韓国の名筆で知られた金忠顕(1921年から2006年)の作品で、財閥の双龍グループのオーナーだった金錫元が韓日議連会員当時に贈ったもの。「桜の花が満開の春の日の太平な国で、江戸(東京)の新しい朝の最初の士」とか「太平な日本の春の日に桜の花が咲く頃、東京に新政権が発足すれば最初に行く人」とかいうのが、14文字の意味するところだそうだ。金錫元が考え、金忠顕が筆を揮ったとも。同紙は「日本政局の現在の姿を表している点が興味深い」と指摘しているが、それはコジツケに過ぎるだろう。これを贈られた当時の小澤は、金丸と竹下の威光をバックに巨大与党自民党の47歳の若き幹事長として辣腕・剛腕を恣にしていたわけだから、金錫元が小澤をヨイショしたとしか思えない。いわば媚び諂いの14文字ということになる。

 当時を思い起こせば、総理総裁候補だった先輩たちを不躾にも呼びつけて面接し、なかの1人だった宮沢から「大幹事長」などと煽て挙げられ悦に入っていたはず。“若気の至りの勇み足”を思い出させるような14文字を人前に曝して、恥ずかしくはないのか。若い世代はさて置き、小澤世代の日本人なら持ち合わせておいていいはずの含羞の心栄えというものが微塵も感じられない。日本人としては、何とも奇妙な感性の持ち主のようだ。

 中国に「愚二アラザレバナリ誣ナリ」ということばがある。あんなアホなことをするヤツは本人が余程のアホか、世間をバカにしているかのどっちかだ――といった意味だが、まさに14文字を背にした新年会の小澤は「愚二アラザレバナリ誣ナリ」、である。

 ところで小澤邸新年会風景は、中南海にまで届いたに違いない。あの14文字と小澤の笑顔を見て、北京の要人たちはどう感じただろう。愈々以って小澤への信頼を増した。はたまた中国人の揮毫を掛けないことに危惧の念を抱いた。それとも「愚二アラザレバナリ誣ナリ」か。まさか「廃話(アホクサ)。小澤先生、再見」なんて口に・・・だろうな。  《QED》