【知道中国 280回】〇九・九・仲五
愛国主義教育基地探訪(26)
―おいおい、ここは革命の聖地じゃあなかったのかい

 昼食を終えて店外に出て何気なく見上げると、正面に聳える赤茶けた岩肌の頂辺りに立てられた巨大な看板に気がついた。真紅の地で、右側にスーツにネクタイ姿の胡錦濤の上半身。左側に黄色で共産党のシンボルであるカマとハンマー。そして左から右へ大きく「延安精神は豊かで貴重な財産だ」。胡錦濤の上半身と共産党のシンボル・マークが大きすぎて肝心のスローガンが読み難いのがゴ愛嬌だが、看板の下端に「中国延安精神培訓中心・延安万徳工程公司」とある。看板を掛けた組織だろう。中心と公司の両組織がどのような関係にあるのかは不明だが、万徳工程公司という建設会社の従業員向けの培訓中心(教育訓練センター)を中国延安精神培訓中心と呼ぶ。あるいは培訓中心で農民を訓練し農民工として都市に送り出すのが万徳工程公司ではなかろうか。おそらく、当たらずとも遠からじ。それにしても万徳の社名が、なにやらウソ臭くて可笑しい。

 目の前の看板を眺めながら1つ疑問が浮かんだ。文革時代の延安精神と看板が訴えるそれとは同じ、いや違う。おそらく刻苦勉励を求める点では同じだろう。だが、前者の目的は若者を狂気に誘い度を超えた自己犠牲、自己陶酔に奔らせること。対する後者はカネ儲けとより豊かな生活。これを中国語風に表現するなら前者の狙いは「国(=政府)強」で、後者の求めるところは「民富」だ。時の流れといえばそれまでだろうが、40余年の時を隔てると延安精神という同じスローガンながら千里万里の径庭が生まれてしまうものだ。

 思うに共産党政権独裁堅持が至上命題であるかぎり、国強という大きな柱を取り下げるわけにはいくまい。胡錦濤政権は和諧社会・以人為本を掲げるが、国是は飽くまでも国強だろう。「国弱」からはじまったアヘン戦争以後の中国近現代の歩みを振り返れば、終始一貫して「民貧」だった。49年から30年ほど続いた毛沢東時代は為人民服務を掲げながらも、常に国強を求め、民は貧に捨て置かれたまま。清朝末期以降は“国弱で民貧”に過ぎ、1949年に誕生した新中国では“国強で民貧”。つまり民貧は一貫して不変だった。

 鄧小平が掲げた改革・開放政策は国強と同時に民富でもある中国を目指す。かくて人民は大手を振って富を求める時代を迎えたということになる。富んだ民は政治学習のためでも崇高な革命精神に触れるためでもなく、観光として聖地・延安に押し寄せる。観光客は貧しくも雄々しかった時代を回顧しようというのではないだろ。『水滸伝』にたとえるなら延安は108人の英雄が集った梁山泊。つまり現代の梁山泊見物の旅としか思えない、

 ――最初に楊家嶺革命旧址に向かう。いよいよ革命聖地・延安の中心に足を踏み入れたかと些かの緊張と感激に浸り、暫しの夢見心地を楽しんだが、束の間のこと。中国人観光客が、そんな感傷をキレイさっぱりと吹き飛ばしてくれた。貸し衣裳屋の軍服を着て往時の紅軍兵士に扮し記念写真を撮りまくり、毛沢東の旧宅にドヤドヤと押しかけ、彼が使ったと表示されるベッドを物珍しげに眺め、ワイワイガヤガヤと大声でしゃべり我先に展示の椅子に座り、壁に掛かる毛沢東のポーズを真似て無邪気に笑う。オヤジ世代は下着を胸までたくし上げ、便便たるメタボ腹を突き出し他人の目に曝しながら、聖地を闊歩する。

 思えば文革時代の若者は異様に悲壮で、いまやオ気楽この上なし。改革・開放が導いた民富の当然の帰結だろう。やはり礼節は、衣食足りれば忘れられるようだ。(この項、続く)  《QED》