【知道中国 257回】〇九・七・仲四
愛国教育基地探訪(17)
―「1.4m」が秘める歴史ロマン

 
今回の河北省の旅でもそうだったが、入場料を払わなければならない観光地の入り口通路や柵には、ほぼ例外なく「1.4米」と書かれた棒や板が立てかけてある。時に壁に「1.4m」と記されたり、時に丁寧に「一・四米以下児童免費」の説明が書かれていることもある。読んで字の如く、身長1.4m以下の子供は入場無料である。確かに、外見だけでは入場者が大人なのか、子供なのか中学生なのか、はたまた大学生なのか判然とはしない。

 だが1・4mと身長を限れば、年齢に関するイザコザは起こりようがない。誰の目にもハッキリと見えるわけだから、四の五の文句はいわせない。年齢に関係なく、1.4mより大きければ大人、小さければ小人ということで、簡単明瞭このうえなし。ならば大人とは人間的な度量とか器が格別に大きいというのではなく、単に背丈が1.4m以上を指すだけ。なんとも味気ない話だが、万人にとって公平な入場料徴収方法であり、中国人の”合理性の一端”を見事に指し示している事例といえないこともない。1970年代末には1.3mが大人と小人の境目だったというから、或いは中国では最近の30年ほどで大人の身長が10cm前後は延びた。やはり発展する経済は人民の体格をも向上させたということだろうか。

 この手の簡便な方法を、40年ほど昔の夏に訪れた台湾の田舎町の映画館でも、70年代前半に留学した香港の遊園地でも、80年代後半に住んだバンコクで足繁く通ったチャイナタウンに残る中国田舎芝居の常打ち小屋でも、90年代半ばに遊んだマラッカ海峡に浮かぶぺナン島のチャイナタウンで暇潰しに通った古びた映画館でも経験している。ということは、万人の否定しようのない公平無比な入場料金徴収方法は現代の中国で行われているだけでなく、中国人のみならず華僑・華人社会でも時と所を問わず一般化している(或いは「いた」)。つまり漢民族共通の庶民文化の一端といっていいだろう。

 ところで、この方法が、いつ頃から、どこで始まったのかはよく判らない。だが、徴税の基準を年齢ではなく人民の背丈に置こうとしたのは秦の始皇帝の治世だったようだ。

 文革の最中、中国各地では遺跡発掘が盛んに行われたが、その背景には中国社会の先進性を内外に示そうという民族主義宣伝臭が色濃くあったことは否めない。四旧打破を打ち出し、旧い中国からの脱却を絶叫していた文革だったが、一方で文革推進派は優れた歴史的遺産を掲げることで民族の偉大さと自らの正統性を内外に誇示することを狙った。そんな政治的狙いを色濃く秘めた遺跡発掘の一環として、1975年に長江下流に位置する雲夢睡虎地で戦国末から秦代までの墓を発掘しているが、12基の墓の1つである秦代のものから、多くの副葬品に混じって当時の法律を記した膨大な竹簡が発見されている。これを「雲夢睡虎地秦墓竹簡」と呼ぶ。そこに「男なら六尺五寸(現在の約1.5m)、女なら六尺二寸(約1.4m)が納税の境界で、五尺二寸(約1.2m)を越えたら労役に応じなければならない」と、身長に応じた納税や労役が規定されていた。

 紀元前の秦代なら、庶民の生年月日など正確に記録されていたはずがない。そこで背丈に着目したと考えられるが、確かに誰にも判り易く納得できる簡便で効率的な徴税基準といえる。法家思想に基づく始皇帝の合理的な政治手法に「1.4m」の淵源を求めるとして、これぞ温故知新。それにしても軽々には見過ごせない「1.4m」だ。《この項、続く》  《QED》