【知道中国 228回】〇九・三・三一
『開放中的変遷』
―これこそ中華帝国永続のカラクリである―

  『開放中的変遷』(金観濤・劉青峰 中文大学出版社 1993年)

 大陸に出現した歴代中華帝国の特徴の1つを挙げよといわれたら、誰もが完備された強大な官僚機構を思い浮かべるだろう。だが著者の記述から、それはウソらしいのだ。

 著者は歴代王朝の事蹟を記した正史を基に、官僚機構の規模と彼らに統治される人民の数を比較する。たとえば唐では368,668人の中央官僚に対し人民は52,919,309人(755年)。36万人ほどの官僚が5千万人強の人民を統治していた。これを現在の官僚内閣制国家・日本と単純比較してみると、役人の数が少な過ぎないか。清代なんぞは、僅か22,000人の中央官僚が3億人弱の人民を治めていた(1796年)。こんな少数で広大な版図に散らばる膨大な人民を統御できたものだと感心させられるが、実は中華帝国は限りなく“小さな政府”によって経営されてきたのである。このシステムが機能していたからこそ、王朝が代わろうと、異民族が皇帝を名乗ろうと同じ中国として安定的に続いてきた。そこで著者は「秦漢帝国出現から現在まで、中国社会の基本構造は一貫して変化していない」と主張する。

 著者に拠れば、中国社会は同姓からなる集団の集合体であり、同族集団を率いる族長の帰趨が王朝の動向を左右することになる。彼らの土地支配が保障される限り、異民族王朝であろうが中華帝国として支持した。恐るべき功利主義。中華民族主義が聞いて呆れる。

 族長は一族集団の財産権、構成員を差配する権限、集団を秩序づける法律(族法)の執行権を持つ。人民は国家ではなく同族集団に属し、同族集団は族長の支配下に置かれる。一方、族長は集団を率いて国家と補完関係を持つ。族長は一族構成員が税を納めたとか、役に服したとかなどを監督することで国家が行うべき公的業務を代行する代わりに、一族構成員の生殺与奪について国家に口を差し挟ませない。族長は国家に代わって人民管理に要するコストを負う。だから、国家は国家経営ができるだけの税や役が納まっていさえすれば、人民を煮て食おうが焼いて食おうが、後は族長のご随意に――という仕組みだ。

 土地をテコに人民を支配する族長は地主であり、国家を経営する官僚は科挙試験を通じて地主層より選抜・登用される。郷紳とも呼ばれる地主層は上に向っては中央官僚となって国家を経営し王朝を守り立てる一方、一族支配を通じて末端人民を管理する。だが王朝が族長層の既得権益と背離したら官僚層と共に“次の王朝”に鞍替えし、易姓革命と称し正当化する。中国社会の根幹を形作る族長=地主層=郷紳の既得権が守られるなら、元(蒙古族)でも、明(漢族)でも、清(満州族)でも同じ中国の王朝として受け入れるのだ。

 この仕組を突き崩さないかぎり中華帝国は永遠に不滅。そこで毛沢東は土地改革という名の郷紳=地主層解体運動を恐怖と暴力で強引に押し進め、全国の土地を一手に掌握し、土地を人民に再分配して人民全体の一元管理、つまり全中国で唯一の族長を目指す。だが地方の党幹部は在地の新しい地主層となり人民を社会の末端で支配してしまう。建国後に獲得した既得権を侵さないかぎり、地方幹部の共産党支持は続く。だから共産党にとって政権延命の便法は地方幹部との妥協しかない。最近踏み切った土地の私有化は地方幹部の土地支配を促しかねず、共産党政権の“中華帝国回帰”は今後いよいよ顕著になるだろう。

 著者夫妻は89年の天安門での挫折を機に研究の本拠を香港に移し、人民中国と讃えられてきた国家が結局は封建中華帝国の“亜種”でしかないことを解き明かすのである。  《QED》