【知道中国 208回】〇九・一・廿
『中国式政治在台湾』
―遂に台湾で「中国の政治」が始まったのか―

 1月15日、台湾の検察当局は総統府内から機密情報を中国側に流し見返りに金銭を受け取っていたとして、野党・民進党に近い総統府職員と与党・国民党所属立法委員(=国会議員)助手の2人を逮捕した。中国側の情報工作が権力中枢にまで延びていることに台湾側情報当局は衝撃を隠せないとか。捜査の進展具合で台湾政官界を揺るがす大事件に発展する可能性もあろう。だが、過般の陳水扁前総統に対する屈辱的な逮捕劇を重ね合わせて考えてみると、なぜ、この時期の逮捕劇なのか。偶然とは、とても思えない。

 昨年5月の就任当時は80%近くもあった馬総統に対する支持率は、いまや20%台に落ち込んだ。「百年に一度の大恐慌」に直撃され経済はガタガタ。総統選挙時に掲げた「三通(中国との間で直接に通商・通信・通航を実施)」政策実施の方針に従って、昨年末の12月15日には、従来の金門・馬祖と福建省の間の限定された三通(=「小三通」)を超え、中国大陸全域との三通(=「大三通」)に踏み切ったものの、経済的効果はともかく、安全保障面では問題山積。北京との過度・急激・全面的な接近に反発する声は高まるばかり。国民党内でも指導力は発揮しえず、連戦元主席、呉伯雄現主席、それに江丙坤海峡交流基金会理事長の通称「中台統一積極派3人組」の跳梁跋扈を拱手傍観するしかないようだ。

 今回逮捕された1人の上司に当たる立法委員が国民党内の何れの派閥に属するかは不明だが、かりに「3人組」系列に属するなら、今回の逮捕劇は馬政権の対中政策に反発する民進党と共に国民党内「3人組」系のイメージダウンを狙ったものとも考えられる。

 ここで思い出されるのが、以前に拙稿で取り上げた『台湾のいもっ子』(蔡徳本 集英社 1994年)だ。蒋介石独裁時代、いわれなき国家反逆罪で逮捕され獄舎に繋がれた主人公に対し同じ台湾人の囚人仲間は「私は自分の体に漢民族の血が流れていることを恥に思う」と呪い、上海人政治犯は「中国の政治は、君たち台湾人が考えているような単純なものじゃないよ」と呟く。冷酷非情・酷薄卑劣な恐怖政治への醒めた怒りであり、諦めの声だ。

 ところで戦前の日本で東大新人会で活動し、日本共産党に加わり、満鉄調査部で働き、戦後は日本共産党と袂を分かち毛沢東主義に奔った石堂清倫が『わが異端の昭和史(上下)』(平凡社ライブラリー 2001年)を残しているが、その中で彼は「中国の政治」への驚きを、何ヶ所か綴っている。それだけ強い衝撃を受けたということだろう。たとえば、

 スターリンを「一方では大鼻子(と侮蔑し)、他方ではスターリン大元帥万歳!これはすこしおかしいと言ってみると、李亜農は一笑に付した。『日本人は文化的には相当なものだ。しかし政治となるとまるで幼稚であって、平和革命が可能だなどと考えている。毛主席は、武力によらない革命はありえないと教えている。この点では中国の共産主義者は一致』。

 「もともと中国人はきわめてプラグマティックであって『原則』に拘泥しないところがある。『帝国主義』の解釈もかなり任意的で、のちには『社会帝国主義』を簡単に取り消す。世界的パワーゲームの条件変化にしたがって平気で立場を変える。それに追随するわが国の毛イストが、この臨機応変の立場を原則のように思い込み拡大解釈をして、しばしば進退を誤る。」

 今次逮捕劇が「中国の政治」の一環なら、事件の裏側で「平気で立場を変え」たのは誰だ。台湾政治が独立対統一の“二次方程式”で解ける時代は幕を閉じた・・・ヤレヤレ。  《QED》