【知道中国 187回】〇八・九・仲七
「歴史意識」
―司馬遷に呪縛された《中国》―

   『中国人の歴史意識』(川勝義雄 平凡社ライブラリー 1993年

 本書は、「中国人の歴史観」を軸に中国人における歴史の意味を問うⅠ章。
 「中国前期の異端運動――道教系反体制運動を中心に」などを中心にした中国人に与えた道教の働きを論究したⅡ章。著者の専門である中国中世、殊に六朝社会の諸問題を扱ったⅢ章とで構成されているが、なにはさておいても読むべきは、やはりⅠ章だろう。
 Ⅰ章は「司馬遷の歴史観」「司馬遷とヘロドトス」などの講演を再構成した論述で、比較的に短く、簡潔な表現で中国人にとっての《歴史の意味》が語られている。だが、著者のいわんとするところは飽くまでも重い。たとえば中国人の歴史観に関する次の一節だ。

 「司馬遷の『史記』以来、二千年あまりの間、絶えることなく正史が編纂されてきた理由」を、「個々の歴史的行為のあとを整理し、一つのまとまった歴史記述として体系化することが、中国人共通の願望であり、必然的な要請であることは、もはや見やすい道理であろう」。だから「無価値的な時の流れに価値と意味とを与えつづけた人間の行為のあとは、人間存在の証として、まさに人々が歩いてきた『道』の跡として、秩序と文明のあり方を示すものとして、正確に書き残さねばならなかった。そこには、価値づけの原理として、『礼』にもとづく政治即倫理批判が加えられるのは当然であるが、また事実の正確さを究めるために、多大の努力が払われたことも注意しておかねばならない」とする。

 中国とは中華人民共和国の略称ではない。太古の昔、黄河中流域の黄土高原の霞のなかから生まれでた漢民族が、数千年の時の流れの中で育んできた時間的・文化的・地理的概念の総体というべきだろう。だから中国とは極めて抽象的な存在といえる。孔子に儒教というココロを吹き込まれ、始皇帝に統一政権という制度と広大な版図というカラダを与えられ、最後に司馬遷がココロとカラダを統べて歴史というコロモで装い、初めて中国は実態を備えた。3人が中国を具体化した。だから、彼らは《中国の発明者》なのだ。

 広大な大陸を流れる「無価値的な時の流れ」を「歴史記述として体系化」し「秩序と文明のあり方を示す」ことが歴史を記す目的なら、その典型である『史記』を嚆矢とする正史こそが中国としての「秩序と文明のあり方を示す」根拠ということになる。ならば「無価値的な時の流れ」を「歴史記述として体系化」する権限、いいかえるなら歴史を解釈する権限を誰が持つか――これこそが、正統中国を決定する究極の決め手だろう。

 『史記』から『明史』までの正史を「二十四史」と呼ぶが、秦から明までに24の王朝が存在したことを示す。これに清が加わり正統王朝は25を数え、さらに中華民国、中華人民共和国と続く「無価値的な時の流れ」を一括して中国と呼ぶ。元の蒙古族、清の満州族のように異民族が支配しようが、ココロとカラダとコロモが同じであるかぎり、中国の正統王朝と看做すことになる。同じココロとカラダとコロモなら、同じく中国と呼んでも不都合はない。
 旧中国を否定し新中国を名乗りながらも共産党政権が中華帝国然と振る舞い続けているのも旧中国と寸分違わないココロとカラダとコロモで装っているからである。

 司馬遷は「無価値的な時の流れ」を正統と異端とに峻別し『史記』を書き遺すことで中国を定める歴史のカタチを作った。以後の歴史書は『史記』のカタチを踏襲するゆえに彼に縛られ続ける。歴史解釈権を握った権力が正統中国を名乗るカラクリが、これだ。 《QED》