【知道中国 183回】〇八・九・初一
「福地いま」
―毛沢東革命のカラクリ・・・土地改革の実態―

  書評:『私は中国の地主だった』(福地いま 岩波書店 昭和29年)

 明治大学法学部に在学中の福地は、昭和8年、ある中国人留学生と結婚する。やがて北京に渡った後、南京の中央大学に転じ日本語教師として働く。2年後の1947年、彼女は「夫とともに夫の郷里の四川省達県に」移り住むことになる。夫は、先の四川大地震震源地の東に接する達県に地主の御曹司だった。彼女は「夫と死別し、やがてあの驚天動地の革命に遇った」。「驚天動地の革命」とは共産党による革命であり、毛沢東率いる共産党が中国農民の心を掴み取り農村に影響力を拡大するキッカケになったといわれる土地改革である。

 当時、日本では土地改革ということばが醸しだす美しい響きのみ伝わり、その実態についての確かなナマの情報があまりにも少なかった。そんな折の昭和28(1953)年、たまたま帰国した福地は中国研究所、東京大学東洋文化研究所などでの座談会に出席し、政治・経済・法律・農業・歴史・婦人問題などの専門家を前に四川省での体験を話す。

 当然のように専門家の多くは疑問を持つ。それに福地が応え、さらに捕捉し、この本ができあがった。つまり四川における地主と小作人の関係、四川に進駐してきた共産党軍の実態、農民協会の活動、地主に対する圧迫、共産党政権基盤確立の反帝・反革命鎮圧運動、建国直後の共産党政権を痛撃した朝鮮戦争、農民への土地配分、新中国における婦人問題と新婚姻法、新しい時代の激流に呑み込まれる地主とその家族――いいかえるなら毛沢革命の実像を、この本は明らかにする。未曾有の時代環境の激変を名もない中国人がどのように生き、そして死んでいったのか。福地は自分のありのままの体験を、つつましく語りだした。

 地主から取りあげた「土地の分配が終わると、家屋の分配をして、その結果無産階級は突然有産階級に変わって来ます。・・・衣裳箱、テーブル、椅子、鍋、釜、湯沸しから花瓶まで分配されて、大はしゃぎです。・・・家族の多い農民たちは急に大金持ちになりました。また農民以外の無産者も農民と同じ待遇でしたので、みんなは大喜びで毛主席を神様のようにあがめて毛主席と共産主義を信仰し始めました。たしかに一生涯祈っても与えられなかった財宝倉庫を、毛主席から頂いたわけで、他の宗教などきれいさっぱりと投げ出しました。神様なんてどこにいましょう。起きるにも寝るにも毛主席です」との福地のことばにウソ偽りはないだろう。ここに毛沢東革命の実態を解き明かすカギが隠されているようだ。土地を与えてくれたからこそ毛沢東を、貧農はカミサマと奉った。ただそれだけ。

 共産党は四川省で2年ほどかけ土地改革を進めた。これに対し「打倒されるべき地主の側にあった著者」は当初は嫌悪感を隠さないが、「あとになるに従って共感のそれが大きくなっていく」。「土地改革の各段階で反発し、動揺し、また共感する著者の心情」から文献では知りようのなかった当時の農村の現実が想像できるが、半世紀以上が過ぎた現在伝えられる中国農村の現実と大差ないことに驚愕せざるをえない。革命、革々命、革々々命。

 土地改革の裏側で地主たちが舐めざるを得なかった悲惨な現実は、「革命とは客を持て成すように、おしとやかで慎ましいものではない」と嘯く毛沢東の冷酷さ、中国政治の非情さを明らかにする。それにしても“天下の岩波”が毛沢東革命の実態を赤裸々に暴露・告発した内容を持つこんな本を出版していたとは、奇跡そのもの。

 百聞は一見、いや一読にしかず。およそ中国に関心を抱く者にとっての必読書。再復刻を切望したい。 《QED》