知道中国 174回】〇八・七・仲七
「貴州無残」

 ―貴州省甕安県公安局襲撃事件の裏側

 毛沢東が掲げた「為人民服務」が万に一つでも実現していたら、いまさら胡錦濤が「和諧(調和)社会」を唱えることもなかっただろう。昨今頻発する怒れる民衆による公安局(警察署)襲撃事件は、当局の振る舞いが為人民服務とは正反対。社会は和諧から遠退くばかりを物語る。

 たとえば6月末に事件の発生した貴州省甕安県をみると、漢族と少数民族が雑居し人口は46万人ほど。貧困著しい貴州省のなかでは比較的豊かで、中国語で「小康」と表現できる状態の農村だった。だが90年代末に入ると様相は一変する。埋蔵量が石炭で10.64億トン、硫化亜鉛で60万トン以上と推定される鉱物資源をめぐって、それまでの小康社会は欲得の渦巻く修羅場に変じてしまった。

 99年、中央政府が鉱産資源にかんする法律を改め、県内外の民間資本の参入を認めたことで権力と金力の複合体が瞬時に生まれてしまったのだ。官(=県政府幹部)と商(=民間企業家)とが手を組み、やがて鉱区は彼らの個人所有となる。アブク銭が舞い、カジノが開かれ、酒場では連日連夜の嬌態。かくてお定まりの極端な格差社会への道を驀進することとなる。

 貴州省では自家用車保有最多の県となる一方で、11万人ほどが県外に出稼ぎ。8600戸余りは夫婦で。そこで3歳から15歳までの子供が留守番役。両親の温もりを奪われた貧しい家庭の子女が行き着く先は非行だ。だから治安は悪化の一途で社会不安は増すばかり。

  “おいし過ぎる生活”を満喫する者への持たざる者の不満が甕安県全体にくすぶりはじめ、それに少女の謎の死が火を点けた。

 ここでは彼女の死の原因は問わず、先に進みたい。じつは発見された彼女の遺体は肉親の手で冷凍装置付の棺に納められ、遺体発見現場の河原に10日間ほど安置されることとなった。昼も夜も肉親に見守られてはいるが、棺は地べたに置かれたまま。夜露を凌ぐのは、組み合わされた梯子と丸太に掛けられたビニールシートのみ。粗末、無惨、奇妙奇天烈。

 これは「図頼」と略称され古くから民間に伝わるもので、恨みを残して死んだ遺体を掲げ横暴な官権に立ち向かおうとするギリギリの抗議方法なのだ。誰となく棺の周りに集まり、公安に唆されたヤクザ・ゴロツキが棺を強奪しないよう見守る。死者への同情は抗議の声に変じ、日頃からの不満が渦を巻き、怒りが怒りを呼んだ果ての公安局の襲撃だ。

 当然のように警備当局は重装備の武装警察を投入して力で抑える。とはいうものの、遺族の要求を呑んで再度の検死に応じたのだが、ここからが、理解不可能ゾーンに突入する。

 河原での安置から10日後、公安は棺を車に載せ、彼女の実家がある辺鄙な山村へ。
 これを香港の「亜洲週刊」の記者が追走する。葬儀屋の車も後を追い冷凍装置付の棺を持ち帰る。レンタル期間が終わったからだ、という。

 その後の彼女の遺体だが、実家の庭に置かれた棺の傍らに横たえられたままで翌日の再度の検死を待つこととなる。最後の夜は雨。ビニールシートを掛けられたまま地べたに置かれた彼女の遺体に降り注ぐ冷たい雨・・・凄惨。その後を知りたいところだが、地元公安がやってきて記者は強制退去。いずれ事件も彼女のことも忘れられてしまう。

 これが建国から59年。オリンピック目前の内陸山村の現実なのだ。 《QED》