【知道中国 171回】〇八・六・初一
「活人墓」

 ――いまも変わらぬ「只許州官放火」――



 所は大地震のあった四川省の東隣に位置し、中国最大の3100万ほどの人口を擁する重慶市の長江面した三峡庫周緑化記念園。名前から判るように、巨大な三峡ダムを記念して作られた公園だが、濃い緑で覆われたここに、贅を尽くした豪華な墓やら、活人墓と呼ばれる自分用に予め用意しておく墓など90基ほどが建てられていた。かくて大地震発生の半月ほど前のこと、地元政府は1ヶ月以内に墓を撤去するよう命ずることとなる。

 中国では「殯葬管理条例」によって「一:耕地、森林。二:都市の公園、景勝地、遺跡保護区。三:ダム、河川の堤防付近、及び水源保護区。四:鉄道、幹線道路脇両側」での墓地造営は禁止されている。ということは、三峡庫周緑化記念園内でみつかった墓地は明らかに違法造営であり、県政府の撤去命令は正しい措置だったが、この地に違法を承知で墓を造るには、それなりのリクツとワケがあったのだ。

 先ずリクツ。風水理論では前方には川なり湖を望み、左右に広がる稜線を持つ緑濃い山の内懐に抱かれるような「蔵風得水の地」に墓地を築くのが最高とされている。というのも、天の「気」は山頂に降り注ぎ、地中を伝わって川や湖に至り、やがて水と共に昇り、再び山頂に降り注ぐ。このように循環する「気」に棺が包まれ守られることで、子孫の繁栄がもたらされるとされる。
 つまり緑濃い三峡庫周緑化記念園は「蔵風得水の地」としては申し分ない場所ということだ。

 次にワケ。中国には昔から権力者の横暴を「只許州官放火、不許老百姓点灯」と評してきた。州官、つまり地方役人の放火は許されても、老百姓(じんみん)は灯りを点すことすら許されないというのだから、日本の「泣くこと地頭には勝てない」どころの騒ぎでない。州官は地方では万能の権力を揮ってきたわけだ。

 じつは現代の地方幹部の振る舞いは、かつての州官も顔色なし。カネも権力も思いのまま。豪華な墓を築くカネなんぞは、業者からふんだくればいい。子孫に安穏な生活を送らせてやりたいからこその活人墓ではないか。殯葬管理条例なんぞナンボのもんじゃい、である。

 かつては中国人必携の「宝書」と崇め奉られ、いまでは観光土産にまで落ちぶれてしまった『毛沢東語録』に、「君たちは謙虚謹慎で傲慢を戒め自分に厳しくなければならない。勇気を持って自らの欠点と誤りを正せ。シロをクロといいくるめてはならない」との件がある。毛が幹部に向かって率先垂範・自己犠牲を教え諭したもの。だが経済成長最優先の時代、地域の生殺与奪の権限を握っている地方幹部からするなら、「毛沢東・・・それがどうした」ということだろう。

 19世紀末に生を享け、州官以来の地方役人の権力を笠に着てのデタラメを知ればこそ教訓だろうが、毛沢東も晩年になればなるほど自分に大甘で、他人には冷酷峻厳だったことを考えると、あまり立派な口はきけそうにない。

 三峡庫周緑化記念園の違法造営の墓のなかには地方幹部のものも少なくないと新聞は伝えるが、ならば地元政府幹部は自分に向けて自分が造営した墓の撤去を命じたということになる。ならば、やはり「只許州官放火」ではなかろうか。

 おそらく墓は撤去されることなく、四川大地震にもビクともしなかっただろう。  《QED》