第二の敗戦とマスコミの責任           塚本三郎

 日本は、大東亜戦争で有史以来の敗戦を喫し、ポツダム宣言によって「有条件降服」を
受け容れた。しかし、マッカーサー司令官の手で「無条件降服」へと裏切られた。
 占領軍は傲慢にして独善的で、その結果、憲法まで押し付けられた。日本人は、それを
逆用し、唯一の敵をも同盟国として、今日の経済大国日本を築き上げることが出来た。
 爾来年月を経て、戦中及び戦後の貧窮を乗り越えて来た人達の時代は去りつつある。
 その人達の遺した影響は、残念なことに、「此の子達には、俺達の味わった苦難は味合わ
せたくない」という愚かな親切心であった。それが果たして、真の親心であったのか。
 戦後の第二世代は、平和とは争わないことであり、相手に迎合することと勘違いした。
そして、弱者と不平分子をいたわることは、弱者への迎合となりつつある。
 その風潮が政治を支配し、格差是正へと、政治を失速させているのが今日の国会である。
 国内はそれでも治まりがつく。しかし、周辺国は、もはや日本を恫喝の対象とし、強奪
の道具としか見ていない。中国、ロシア、北朝鮮の「憎々しい反日」の言動は眼に余る。
 日本は、今日までソ連(ロシア)も、中共(中国)も、北鮮(朝鮮半島)も、敵国とし
て戦った覚えはない。彼等は日本に対する戦争の本当の勝者ではなかった。
 特にソ連と中共は敗戦後のドサクサにまぎれ、かつ国際条約を裏切って侵略した「国際
法の違反者」ではないか。その連中が国連の常任理事国として、首座を占めているのが今
日の世界である。その侵略国に、気ままに振り回され、ひたすらお詫びを重ねている。
 日本国は、正に第二の敗戦国となったのではないか。
 今、改めてさきの敗戦当時を省みてみよう。強者が如何に偽善と傲慢であったか。
 昭和二十年七月二十六日、ポツダム宣言が発せられた。終戦に先立つこと三週間前であ
る。親日派として努力していた元駐日大使、ジョセフ・グルーが関わって作成された。
 グルーは、日本本土上陸と、ソ連参戦の前に、日本自ら戦争の終結に導こうと必死の努
力をした。彼は、降服が現皇統の廃止を意味するものではないことを、明らかにすること
が絶対に不可欠と信じて、日本と連合国の双方が、面目の立つ表現を用いる努力をした。
 外務省は、ポツダム宣言を「有条件講和」の申出であり、それまで、連合国が唱えてい
た「無条件降服」の要求とは、多分に異なる内容を包含するものと受け止めていた。即ち
次のものがあったがゆえに。
一. 民主主義的傾向の復活強化
二. 日本国民の自由に表明せる意志
この文言こそ、無条件降服を要求するものではないと判断した。かくて日本は
 「帝国政府は……共同宣言に挙げられる条件を、右宣言は天皇の国家統治の大権を、変
更するの要求を包含し居らざることの了解の下にポツダム宣言を受諾す」と述べた。
 かくして、八月十五日正午、天皇陛下はラジオ放送を通じて全国民に「終戦の詔書」を
放送された。

如何にして朝日新聞は変質したのか
 終戦翌日の『朝日新聞』は、次のような素晴らしい論説を掲げた。
 かかる状況下における民族の道がいかに厳しいものであるかは、十分に覚悟せねばなら
ない。われらは、いかに困難にさらされるとも、民族としての誇り、生存権はどこまでも
主張し、‥‥‥今後の交渉によって決定されたる途を雄雄しく歩むところに、新生日本の活
路があるのである。(昭和二十年八月十六日)
 そして九月二日に行なわれた、降服文書調印後の「昭和二十年九月六日」
一億総懺悔、民族の総結集という言葉の持つ意味を、今更ながら痛感する。戦いはすん
だ。しかし、民族の闘いは、寧ろこれからだ、世界正義と民族の名誉をかけた、武器なき
闘いは、世界人をして我等の立場を正当と是認せしめるまで続けなければならない。国民
は敗戦という、きびしい現実を直視しよう。しかし、正当に主張すべきは、おめず臆せず
堂々と主張しよう。単なる卑屈は民族の力を去勢する。と高らかに論じている。
 この朝日新聞の決意は、全世界に強い印象を与えた。六十数年を経た今日、なお右の文
は、我々日本人の心を引き締めさせる。
 中華民国外交部長・王世氏が右記事について印象を述べている。日本敗れたり!とは云
え、その国民の魂は決して軽視出来ぬと全世界に警告せしめた。日本国民の皇室に対する
忠誠、敗戦後における威武不屈、秩序整然たる態度は、わが国人の範とするに足ると。
 マッカーサー司令官は、占領政策遂行の為、ポツダム宣言の如き、極めて限定された権
限では不可能であると思った。よってポツダム宣言の条項を実施するが、自らの権限の範
囲に不満を感じ、もっと大きな権限を認めるべく本国に強硬に申し入れた。
 その結果、われわれと日本との関係は、契約的基礎の上に立っているものではなく、無
条件降服を基礎とする。貴官の権限は最高であるから、その範囲に関しては「日本側から
の、いかなる異論」をも受付けない。よって貴官の発した命令を強制することができる。
 マッカーサー司令官の要求に対し米本国は、このように回答した。
 ポツダム宣言における「有条件講和」の原則は、こうした形で「無条件降服」の原則へ
とスリ替えられた。かくして、九月十一日、東条内閣の閣僚全員三十九人に逮捕命令が出
された。次いで、十五日、新聞社、放送局への弾圧があり、検閲が開始された。
 日本に対しては、交渉というものは存在しない。最高司令官は日本政府に命令する。交
渉は対等の者の間に行なうものであるから、人を誤らせる様な報道は今後一切許さない。
 九月十八日「朝日新聞」が発行停止、二十二日「日本のラヂオ・コードに対する覚書」が
発せられた。この相次ぐ弾圧により、日本のマスコミを占領軍の御用機関に堕さしめ、九
月二十二日付の「朝日」社説は復活に際し、それまでの報道姿勢を次の様に一変させた。
   今や我軍閥の非違、天日を蔽ふに足らず、更に軍閥の強権を利用して行政を壟断し
  たる者、軍閥を援助し、これと協力して私利を追求したる者などの罪過も、ともに国
  民の名において札弾しなければならぬ。翕然たる国民の声、結集された国民の力を加
  へることによってのみ、好戦的、専制的、強圧的、非国民的諸勢力の絶滅が期し得ら
  れ、同時に政治の転換、刷新が成就されるのである。軍国主義の絶滅は、同時に民主
  主義化の途である。敗戦の教訓を無為にしないためには、国民は是非ともこの道程を
  突破しなければならない。国民は、これ以上逡巡してはならないし、また決して逡巡
  しないであろう。

 二週間前、「民族として誇り、生存権」を主張し、「正当に主張すべきは、おめず臆せず
堂々と主張しよう」と唱えていた「朝日」が、今や先頭に立って「軍閥の糾弾」「軍国主義
の絶滅」を主張し始めた。占領政策の効果は、まことに絶大かつ決定的といってよかった。

第二の敗戦は内部から
 敗戦時に於ける典型的事例として、朝日新聞の変節の社説を挙げた。しかし、これは日
本のメディアが傲慢な権力下においては、延命の止むを得ない策であったかもしれない。
 ならば、占領軍が去り、独立を克ち得た段階で、本来の姿に立ち帰るべきであった。
 併し、日本の殆どのメディアは、当時の「変節は致し方がなかった」という、反省と弁
明をする勇気さえ持たなかった。
 自由と平和の美名の下に、政治家までも「政治の根本を捨てて」すべてを経済復興へと
邁進した。否、国民の「正義心と友情、道徳心」をも軽視することを担保とした。
一九七一年、朝日新聞の本多勝一記者が、中国に「戦争中に日本軍が中国で行なった残
虐行為を取材させて下さい」と、入国を申請した。
 入国を許可されて書いた記事、それが朝日新聞に連載された「中国の旅」である。
 本多記者は、中国共産党が準備した場所に連れて行かれ、中国共産党が用意した人の話
を一方的に聞かされ、それをそのまま掲載して、全く検証もしなかったという。
 見事な嘘は、「日本軍の強制連行に反対した労働者が、その場で腹を断ち割られ、心臓と
肝臓を抜き取られた、日本兵は、あとでそれを煮て食った」という話など、中国人には普
通の話であっても、日本人の感覚ではあり得ない話だ。このような嘘の数々が世界に広ま
った。
 中国は、それを最大限に利用し拡大している。
 南京三十万人虐殺の嘘を広めた朝日新聞は、七十年後の今日、(二〇〇七年十二月十三日)、
誤りを悟り、自分達の広めた「この事件(三十万人虐殺)を日、中間の障害とせず、和解
に向けて手立てを講じていくことだ」と、さきの嘘を訂正せず、こっそりと逃げている。
 経済発展の為と言えども、物や金銭や合理主義や、そして他国との友好のみでは成り立
ち得ないことを、今日の日本人は漸く気付きつつある。
 今後の日本は、この歪められたメディアと、国民の良心との闘いでもある。
 経済活動発展のすべての土台には、日本人としての、優れた人間性が在ったはずだ。
 何が正しいかの正義感、そして家庭や社会での道徳と友情、それはお金儲けの邪魔だと
言わぬばかりのメディアの風潮は、結果として日本国民の努力と自負心を失わせた。
 既に日本は、ここ十年来、第二の敗戦へと追い込まれつつある。
 日本国憲法に象徴される戦後体制のままでは、日本が直面する諸問題には、もはや対処
出来ない。誰の目にも明らかな致命的な日本の欠陥を、国会は何等論じようとしない。
 与党も野党も、国民生活の重視を掲げている。その重要性は言うまでもない。
 しかし、国民生活を支える、国家の在り方が論ぜられず、空白のままで国家不在が続け
ば、日本は、米国や、中国や、その他の国の戦略に呑み込まれてしまう。
 国会は、ガソリン国会として攻防の最中であるが、税率と比べて、比較にならない最重
要、深刻な課題を放置している。
 幸い、与論調査では、日本国民であることを誇りに思う、と答えた人は93%に達し、
国の役に立ちたいと考える人も73%にもなることが、読売新聞調査で(一月二十五日)
報道された。国民は日本の前途に危機を感じている。政治家は国民の声が聞こえないのか。
      『憲法はかくして作られた』 伊藤哲夫著 日本政策研究センター刊 参照
                                  平成二十年二月上旬