福田新首相に提言する                            塚本三郎

 内外状勢多難の折、福田康夫氏が新首相に選出された。自民党各派閥領袖の支持を得ての結
果である。福田氏にとって、この様な多難の折に、自らが望んでの首相とあらば、余程の決意
と覚悟をもたれたと思う。政界では、優れた血筋の下に生まれ育ち、余りにも順調に登られた
地位は、安倍前首相と殆んど違わない。欲を言えば、もっと野生に富んだ言動が出来ないかと
願う。この期待は無理か。
 野次馬根性で福田氏の気持ちを言わして頂ければ、「万事おだやかに、皆さんのおっしゃる
説は御もっとも、みんな正しい、その人達のご意見をまとめ、そしてお互いが、八分通りの主
張でがまんしてください。それが公平であり平和であり、安心の出来る日本の政治であります。
 私は皆さんのいやがることは、致しません.無理は決して致しません。
 外交については中国や韓国や北朝鮮やロシアや、何れの国にも言い分はあるでしょう、それ
を出来る限り、受け容れますから日本の主張も怯どはどに聞いて下さい。万事おだやかに、時
がやがて解決します。拉致の解決の為には、皆さんの言い分も聞きます」。
 福田氏にはこんな手法と会話が見えてくる。 「他人のいやがることはしない方が良いでし
ょ」と発言した福田氏の言動は、靖国神社参拝についての応答である。福田氏の人柄からして
、善意のカタマリとは思う。しかし、政治の世界は、敵と闘うことが時と場合によっては重大
な使命となる。
 日本は今日、中国の覇権、強行の前面に立たされている。
 日本の首相の、靖国神社参拝を非難することも、日本国が、国連の常任理事国への立候補し
たことを妨害したのも、すべて、中国の独裁政権維持の為の国内事情である。
 中国政府は、中国国民の政権非難の捌け口を、日本という 「お人好し」 を非難し、外に
敵を造ることで、内政を治める手段に使っている。それこそ独裁政治の常套手段である。
 唯、最近それが、近隣諸国のみならず欧米にまで露骨に表面化し、来年の北京オリンピック
のボイコットの運動に発展しっつある。ゆえに安倍前首相を北京へ招待したのは、仮面をかむ
った方向転換に過ぎず、中国の反日思想の軟化では決してない。
 日本が中国の支配下に甘んずれば、米国は心ならずも、中国の覇権を黙視せざるを得なくな
る。米国にとって中国の覇権は、直接に影響はない。万一の場合は、日本をはじめ、アジアを
も無視するかもしれない。それが米国の立場である点を見逃すべきではない。
 安全保障が、日本一国のみでは成り立たない時代となったからこそ日米同盟である.
 さすれば 「集団安全保障」を日本が認め宣言することで、米国への力強いメッセージを送
ることになる。それが同盟国米国にとって、力強い日本の在り方である。
 日本は世界経済の先頭に立ち、独自に防衛力を強化し、そして核を含む最強の独立国家を目
指す方法もなくはない。しかし今日では、日米同盟の強化こそ最も安全であり、世界から信頼
を得る道であることは申すまでもない。
 今日の日本は、世界の中で、単にひとり孤立して立っているのではない。
 中国を中心とする共産主義、独裁政権と、それに対立する民主主革を自負する米国との中間
に位置する、危険極まりない環境に立たされている。それが日本の地理的姿である。
 中国が、その影響下においた、チベットや新彊ウイグルを見よ。彼等の仕打ちを知れば知る
程に、日本が米国との同盟の必要を重視する必要がある。それは米国に追随するとか、協力し
てあげると云う段階ではなく、日本自身の存立を確保する為の道でもある。
 おだやかで、正直一途で、内政、外交が解決前進できればそれに越したことはない。機を見
るに敏な福田氏は、相手の弱点を露呈する機会を見付けて、切り込んでゆかれるであろうが、
それでも相手を見誤ることが心配だ.外交は血を見ない戦争と言うから。
 日本の新首相にとって一番大切な使命は、過去六十年間、誤信させて来た、東京裁判の誤り
を正し、「正しい歴史の認識」 を政治家も教育の世界にも徹底させることである。
 独裁国の支配者は、自国を支配下に置く権力維持の手段として、未だ、近隣諸国へ内政干渉
を敢えて行っている事実を知る必要がある。他国を責め非難することによって、自国の国民の
眼を外に向けさせることを常套手段とする。

満州事変が侵略か
 戦後の日本は、歴代保守政党が日本の独立性と主権を維持し、経済繁栄に努めて来た。一方
で、東京裁判史観が国民を支配しており、それは全く不本意であったが、敢えて反論しなかっ
た。
 負けた以上、散り際と、男らしさ、潔さを示そう、言い訳することは見苦しい。それが武士
道だと東京裁判を黙認して来た。
 その結果、戦後の日本の歴史は 「嘘から出発」 したことになってしまった。
 歴史上類例のない、勝者が敗者を裁くという誤りの裁判が、日本国家を一方的に裁き断罪し
た。そして、容共主義の諸君と、戦争を煽った一部メディアは、占領軍に迎合し、独立後もそ
の歪みを改めず、悪用して今日に至った。
 二十世紀は、戦争が良いか、悪いかの問題ではなく、世界中が覇権を争う帝国主義の時代で
あった。列強の植民地となることを拒否し、国家として独立を全うしようとする限り、日本だ
けが例外であることはできなかった。
 日本人は、今こそ歴史の多様性を知るべきである。戦前のアジアは、他民族を殺戟して手に
入れ、植民地として、収奪することを目的としたのが欧米列強の実体であった。
 関東軍の石原莞爾は、日露戦争及び第一次大戦の条約によって得た、満州に於ける日本の権
益と、在留邦人の命を守るためには、満州を支那から切り離すしかないと考えた。
 またロシア革命以後、共産主義の南下、侵略を食い止め、朝鮮半島を守るために、独断で満
州事変を起こした。「孫文」 もいっときそれを認めていた。
 もし、満州がロシアの手に落ちていたら、朝鮮半島は間違いなくロシア領になっていたであ
ろう。そして日本人の代わりに朝鮮の人達が、シベリアに送られ、数百万人が奴隷として犠牲
になったであろう。このことは、韓国の一部有識者でも認識されている。
 満州建国後、日本が敗戦にいたる約十三年後には、約二千万人であった人口が、約四千五百
万人を数え、毎年百万人を超える人口の大移動となり、大陸唯一の別天地となった。
 東京裁判では、日本軍国主義の支那侵略は、満州事変から始まったと断罪する。当時、満州
を支配していた張作森が爆殺された原因は、関東軍の河本大作大佐だとの説が大勢であった。
しかし、柳条橋爆破の主犯は、毛沢東軍の謀略であったと、つい先年、毛沢東側近から暴露さ
れた、という説が有力。『マオ 誰も知らなかった毛沢東』ユン・チアン著

今こそ自主独立の国家を
 当面の外交は、対中国を中心とする共産圏に対して、「毅然とした外交姿勢」をとることと、
「日米同盟の真に在るべき姿」 を明確にすることが不可欠となった。
 近年、米国の財力と威信にカゲリが現れて来た。それは、ひとり米国の内政に止まらない。
民主主義政治のリーダーとして、日本は米国と同盟の立場から憂慮している。心配なことは、
米国を信じて来た多くの国々、特にアジア各国にも不安が投げかけられている。
 日本は、米国に対して、何を助け、何を忠告し、どう対処するのか。
 日本は少なくとも、米国に次ぐ民主主義国家の先進国家である。日本の運命は即、アセアン
の運命とも繋がり、同時に米国の命運とも無関係ではない。
 日と共に経済力を強める中国、しかもその原因は、日、米をはじめ欧州各国からの資本投資
が、中心であるから、一旦これ等先進国が不信と迷いを生じ手を引いたら、中国は危険と崩壊
の崖縁に立たされる.その例が、北京、上海等の大都会の建築ブームである。既にバブルを超
えている.この数年の建築は狂気と云うべきで、北京オリンピックの2008年、上海万博の
2010年を歌い文句に、危機を露骨に示していても、独裁政権のゆえに、あらゆる手段で、
犠牲者と良識者を抑え、突っ走らせている。
 バブルも、公害による環境破壊も、資源の買い漁りも、まして武器輸出も、コピー商品の販
売も、そして有害商品の販売も、世界中に害秦を撒き散らしているのが中国の姿だ。
 その前面に立ち向かわされているのが、我が日本である。
 この狂気にして放縦の国に対して、日本としては、直接には手の打ち様がない。
 思えば1937年の日支事変には、日本は支那一国が相手だと誤信して、泥沼の大陸に踏み
込んでしまったが、北からのソ連と南からの米、英、仏、蘭の各国が、中国を支援し続けて、
その為日本は、片足を支那大陸に突っ込んだまま、他の片足で太平洋で、米・英などの国々を
相手に戦わされた。
 しかし今日は違う、中国の睾を味わいつつある欧米諸国は、中国に警戒感を抱きつつある。
まして米国は日米同盟の盟約国である。日本の進むべき道は余りにも明白である。
 日本が厳然として、中国の内政干渉を跳ね除け、謝罪外交を改め、自主独立の外交を示せば
、米欧のみならず、アセアン諸国もまた日本に拍手を送り、頼むに足る先進国として尊敬を勝
ち取ることが出来る。

新首相への提言
 日本国民はいま、経済的なことが先に立ち、情報が過度にあふれ、精神的な人と人の絆が途
切れている。豊かさの目標は 「物の豊かさ」 より 「心の豊かさ」 を求めつつある。
 日本は完全な独立国として、当然の主張を敢えて議論せよ。今の国民には、当然の議論が暴
言に聞こえることもあろう。主張が論争の結果、妥協になっても良い。否、主張は必ず対立を
生み、勇気ある論争の結果、妥協は良識の処に落着く。
 福田新首相に前述の考えをもとに敢えて次の対策を進言する。
 その第一は、「実質的な教育勅語」 復活の提案を。     家庭教育、社会教育の為
 その第二は、徴兵制実施の可否の議論を。        青年に愛国心と団体生活の為
 その第三は、防衛の為の核武装の可否の議論を。      非核三原則と日米同盟の為
 世界先進国で、この三点は、当然の主張であり、既に大半は実施されている。日本だけが議
論さえもしない。それを意識的に避けている。それは政府として無責任ではないか。
 一部メディアの異論や、独善近隣国家の威圧に屈せず、度胸を据え」てかかるべきだ。
 右の三点を議論することは、福田新首相にとっては、いちばんニガテであろう、それを承知
の上、これこそ日本が、普通の国となることだ、と進言する。
                                平成十九年九月下旬