誰が日中間の氷を作ったか             塚本三郎

 中国の温家宝首相は四月十二日、日本の国会で次の如き演説を行なった。まず第一に、
同首相は「訪日が中日間の氷を溶かす旅になるよう期待する」と。しかし、一体誰が日中
間を氷漬けにしたのか。日本から一度でも冷たい行動を中国へ発信したことがあったのか。
 八〇年四月、訪中した当時の中曽根幹事長に対して、中国の伍修権副参謀総長は、三木
内閣の定めたGNPl%以下の日本の軍事費を、2%に倍増してもよいのではないかと告
げていた.当時の中国はソ連の脅威にさらされていたから。
 それが八五年には、それまで問題にしなかった、日本の首相の靖国神社参拝を、突然非
難しはじめた。その後、日本の防衛力の整備で、新鋭機SFXや、イージス艦の建造を、
日本は軍拡の道を歩んでいると次々と非難した.その後もGNPl%以下であったのに。
 九二年には、日本固有の領土の尖閣諸島を中国領土と中国は勝手に定めた。これは、日
中友好条約締結の当時、郵小平氏が、この間題は時が解決するから、お互いに時を待つこ
とにしようと提案した。日本はその時、歴史的に日本領土だと強く主張したけれど、相手
を紳士とみて同調した。その約束を勝手に破る国、それが共産主義の中国である。
 九五年には、核実験を次々と実施して、その威力を世界に誇示している。
 日中友好条約以来、九〇〜九五年にかけて竹下内閣により、約七兆円のODAを受け、
北京空港をはじめ、中国全土のインフラの整備を受けて来た.日本の軍拡を非難しながら、
日本からの投資や技術援助の為には、片方で友好を叫ぶ破廉恥ぶりである。
 それなのに江沢民主席は、徹底した反日教育を始めて、次々と反日の舘を建設し、その
上、日本の国連常任理事国入りに対し、日本の領事館に対してまで反対の暴動を起させた。
 それでも日中間に氷を作ったのは日本だと言いたいのか。
日支事変は共産主義の陰諜
 続いて中日戦争は、日本の軍国主義者が悪いのであって、日本国民も中国人民と同じく
犠牲者であると、演説した.日本の軍部を非難することで、日本国家を悪者と印象づけ、
その上、日本国民には迎合して、日本から更なる協力を求めんとする厚顔振りである.
 日支事変は、日本の関東軍と蒋介石の国民党軍の双方を挑発し、戦争の継続を余儀なく
せしめた、中共の毛沢東軍の謀略と挑発だったことが今日明瞭となっている。
 日本政府も関東軍も、幾度となく日支事変の休戦を提唱し約束したが、約束を反故にさ
れた。日支事変の原因は、中国共産党であったのだが、当時の日本は、蒋介石国民党軍と
信じていた。
 廣田弘毅首相も、近衛文麿首相も、前面に立って、和解の約束を行ない、最後には近衛
首相自身が、南京へ赴き和平を断行するとまで言い出した。しかし、すべて徒労に終った。
 蒋介石国民党政権の中に入り込んだ、毛沢東共産軍の一部が、日本との約束を実行せし
めない為、次々と日本軍及び蒋介石軍の双方へ発砲して、日本軍と蒋介石国民党軍との死
闘を繰り返させた。共産主義の謀略の恐ろしさを、今日に至って思い知らされる。
 加害者である毛沢東軍が、中国人民を犠牲者としただけではなく、日本軍もまた、だま
されたと言うべきではないか。
 昭和二十年八月、日本軍はポツダム宣言の受諾によって、一切の軍事行動を停止した。
その前後にソ連軍が満州国に侵略し、日本軍及び日本人に対して暴行略奪を行ない、六十
万と言われる日本軍人を、ソ連に拉致し、強制労働を行ない約六万人を死なせた。残虐な
火事場泥棒そのものであった.
 満州国の日本人住民は命からがら帰国した。その時、親達は、幼い子達の途中での死の
危険を察知し、近所の親切な満州の人達に預けた。それが残留孤児である。その子達を手
厚く育ててくれたことに、日本人は深く感謝している。そのことについて温首相は言う、
俺連中国人が助けてあげたのだよと、恩着せがましく演説を続けた。
 しかし、原因を正せば、戦争の相手ではなかったソ連軍が、中立条約を破って満州国に
侵略して、日本の財産を略奪し、特に日本軍の武器を取り上げて中共軍に渡し、その武器
が蒋介石の国民党軍との内戦に勝利した大きな原因であった。
 ソ連共産主義の満州国への侵略がなければ、今日の中国共産党政権が在り得たかどうか。
 中国残留孤児が発生させられたのは、その時点である.悲劇は一体誰の仕業か?ソ連軍
と中共軍ではないか.自分達の仲間の残虐な略奪によって、日本人をひどい目にあわせた、
その孤児を俺達が助けてやったと、恥も外聞もなく、日本の国会で演説することに、人間
としての破廉恥とあわれみを感ずる.その演説に拍手を送り続けた日本の国会議員は、礼
儀が正しいのか、無知のなせる結果なのか。
 日本人の孤児達を親切な満州人が育ててくれたことは深く感謝する。しかし、救ってく
れたのは、ソ連軍でも中共軍でもない。
この無法者を許して良いか
 その上、温首相は、台湾は我国の領土であり、一切、手を出させないとも日本国会で力
説した。一体いつ、中国が台湾を領有したことがあるのか.日本が、敗戦によって統治榛
を手放したからといって、中国が統治した歴史は一度もない.蒋介石政権の大部隊が、末
期に中共軍に追われて台湾に逃げ込み、その上暴虐の歴史を残したにすぎない。
 それを、昔から俺達の領土だと叫ぶのは、台湾の人達にとっては極めて迷惑であり、盗
人猛々しい。万一、台湾が自分達の手塩にかけた領土だと信じているのであれば、その台
湾と交流し、台湾の発展に協力している日本に感謝すべきである.やがて台湾の人達が、
中国本土に合流することを望むならば、日本としても、何ら妨害する意思も必要もない。
 台湾は、中国本土と比べて、天然資源は豊かではないにしても、国内は平和で、民主的
で、自由で、更に豊かになっている。それを、武力による威嚇で領有しようとする魂胆が
余りにも露骨である。
 今回の温首相の演説は、言葉に出してはいないが、靖国神社参拝、尖閣諸島の領有を、
言外で遠まわしに、必要な武力は 「いつでも抜くぞ」、と言わぬばかりである。
 即ち人民解放軍の充実は、十八年連続で二桁の増強と、世界中で突出している。
 最近の中国の軍事力の増強の目標は、領海の主権‥即ち尖閑話島を含む東シナ海、南沙
諸島に至る、大海洋国家を目指しているようである。目の前に大手を拡げて立ち塞がる日
本が、最大の邪魔であり、やがて、日本に異を唱えさせない為に、武力で脅しているつも
りであろう。その証拠に、潜水艦のみならず空母まで、ロシアから購入心ている。
 これ程に、言いたいだけのことを遠まわしに、しかも、恩着せがましく述べる 「曲者の
温首相」 に拍手を送る日本の政治に、危うさと哀しみを禁じ得ない。
 恐るべき黄砂、その影響による、曇天の赤い夕陽は中国北部を覆い、更に舞い上がる頻
度は増えるのみならず、公害による悪性の病原菌まで含んでいると言う.そして朝鮮半島
を経て、日本の空をも侵しっつある。その上、無秩序にして奔放な開発優先の日々である。
 黄河は滑れ、水不足の心配、そして電力の不足、その上、莫食と呼ぶのは食糧のみでは
ない。石油、石炭から、木材等あらゆる原材料を周辺国から買い漁るのみならず、南米か
らアフリカに至るまで、世界中を荒らし回っている.人件費が安いからと、世界中から招
いた農資資金や工賃で得たドルを使い、国際価格を無視して原材料から油田まで買い漁る。
 また途上国の内乱に乗じ、「武器輸出」によって得た金を当て込んで、資源を求めている。
 人道のルールも、まして協約も、目的の為には手段を選ばず、中国は全世界から軍費を
買っている。まして、コピー商品を取締まる約束は抜け穴だらけで、WTOの勧告を笑い
捨てて恥じない。
人事を尽くして天命を待つ
 温家宝の今回の訪日は、中国政権の、平和を装う姿勢を日本人に示そうとした微笑の態
度である。しかし、その裏にかくされた、天をも、人をも恐れない、不敵で、嘘と故知で
固めた発言には、黙ってはおれない。
 中国共産党を軸にして、北朝鮮、ロシア、更に韓国までもが、反日の包囲を固めている。
その姿を背景にした温首相の心中を、露骨に見せ付けられた思いである。
 彼等が造りあげた、嘘の歴史認識の根源は、東京裁判でデツチ上げられたものであるこ
とは、既に識者がしばしば論じている。そして、当の責任者である占領軍のマツカーサー
総司令官も、あれは誤りであったと、米国上院の軍事外交委員会で証言している。残念な
ことは、日本の国内で、未だその誤りを訂正しないマスコミが余りにも多いことである。
 中国の、天をも人をも恐れない所業は、やがて自らの身に降りかかって来るに違いない。
北京オリンピックを目指して、表面だけを繕う中国政権が、数々の矛盾を増大させ、世界
を、否、自国民をも敵として省みない権力亡者、拝金亡者の支配が、永続するはずはない。
自壊作用は、時と共に迫って来るであろう。
 中国人民とて大多数は、正も邪も心得て、良く働き、良く学ぶ善良な大衆である。それ
を無視し、悪用している現政権の前途は、やがて人民の暴発を招かざるを得ないと憂う。
 中国の危機は、直ちに日本へ降りかかる.日本企業の相当部分が中国に投資している。
中国の内政の破綻は、人民の不満の捌け口を、外に向けるのが独裁者の常套手段である。
 とすれば、その捌け口は、第一に我々日本に向けられると覚悟すべきである。
 中国は、日本に対して「微笑外交」と「桐喝外交」を交互に繰り返し、経済と技術援助
を引き出し、自国の近代化を進めながら、日本の防衛力の近代化に脅迫を重ねて来た。
 日本外交が、憲法を口実として逃避を重ねる限り、中国の隷属国とならざるを得ない。
 日本人は、今こそ、人事を尽くして天命をまつ、備え在れば憂いなし、を思い出そう。
 今日の日本は、日露戦争前夜の状況と似ていると評されている.因果は巡る。世界一の
軍事大国ロシアと戦って勝利を得た日露戦争以来百余年。その歴史は日本人のみならず、
全世界の有色人種にとっても大きな希望を与えた大勝利であった。
 この勝利の前には、明治政府の必死の国防態勢充実と、日英同盟による強固な支援、及
び米国の好意的協力、そしてロシア後方撹乱の大戦略等々の陰の努力があった。
 果して今日の日本政府は、その防衛態勢在りや.また開戦前に、金子堅太郎をアメリカ
に派遭し、高橋是清をロンドンヘ、そして明石元二郎等を北欧に潜行せしめた情報戦を考
えたことがあるのか。
                       平成十九年四月下旬